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中国名言辞典(含蓄の有ることば)

朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり

春秋時代後期に生きた孔子(前551-前479)は、「礼楽(令政)と征伐(令軍)」は「天子より出ず」べきで、周王が最高権力をにぎってこそ「天下に道(正しい政道)あり」と説いた。しかし、当時は、生産力の発展で、それが諸侯や大夫(貴族)や、その家臣の手などににぎられるようになっていた。外ならぬ孔子自身が魯(山東省)の大司寇(司法大臣)として魯の君主権の強化を図ったため、大夫の三桓氏にマークされて失脚し(前497)以後、14年にわたって諸国を流浪している。しかも、孔子は行く先々の諸侯や大夫に自説を説いたが、当時反撥をまねいて官途につけず、苦難の旅をつづけ、時には「喪家の狗」(宿なし犬の意)と罵られたこともあった。「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」(『論語』里仁篇)とは、「天下に道なし(天下に正しい政道が行われていない)」と嘆いた孔子の気持ちを吐露したものだ(魏の何晏らの『論語』古注)という説と、「朝、道(真理)を聞いて、これを体得できたら、その夕方には死んでもいい」と求道への情熱を吐露したものだという説などがあるが、ふつう、「朝、人としての道を聞いたら、その夕方に死んでも悔いはない」人間の道・生き方を知るのはそれほど重大なことである)という意味で使われている。



井の中の蛙

荘周は斉物の論や逍遥の遊、つまり一切のものを斉しくみて、万物即一の絶対自由の精神の世界に心を逍遥させよといい、それを寓話にかりて説いている。『荘子』秋水篇(寓話集)のなかで、北海の神の若が、独りよがりの黄河の水神の河伯を、つぎのように戒めているのも、その一例である。―――「井の中の蛙に海のことを話してもわからないのは、自分のいる狭い場所だけを好い場所だと思ってこだわっているからだ(『井鼃は、もって海を語るべからざるは、虚に拘わればなり』)。夏の虫に氷の話をしてもわからないのは、自分の生きている季節だけを時だと思い込んでいるからだ」わが国の「井の中の蛙、大海を知らず」とは、この故事が出典である。他に広い世界の有ることをも知らずに、目のとどく身辺の狭い範囲だけを天下だと思って、いい気になることをいい、見識のせまいことにたとえる。「井の中の蛙」には、もう一つ出所がある。後漢の光武帝に仕えた馬援将軍は、まだ隴西(甘粛省)の軍閥隗囂の幕僚だったころ、蜀(四川省)の軍閥公遜述の人となりを、「井の中の蛙(「井底蛙」)にすぎず、一人で威張っているだけだ」と評している(『後漢書』馬援伝)。「鼃」は「蛙」の古字である。



己(おのれ)の欲せざる所は人に施(ほどこ)すなかれ

孔子の思想の根本は「仁」といわれるが、この「仁」とはなにか、という門人仲(ちゅう)弓(きゅう)(冉雍(ぜんよう))の問いにたいして、孔子は、人にたいして、貴賤富貴の区別なく、丁重・敬(けい)虔(けん)な態度で接し、「自分が人からしてもらいたくないことは人にもしないことだ(『己の欲せざる所は人に施すなかれ』)。そうすれば、役所でも家庭でも、人に怨(うら)まれることはない」(『論語』顔淵篇)、と答えている。また、「一生守るべき信条とするに足るような言葉はないでしょうか」という門人子(し)貢(こう)の問いに対して、「それは思いやり(恕)だろう。自分が人からしてもらいたくないことは人にもしないことだ」(『論語』衛霊公篇)、と同じことばをくりかえしている。高弟の曽子(そうし)は、孔子の道は「誠実と思いやり(忠恕)に尽きる」といっている。「己の欲せざる所は人に施すなかれ」ということばは、人間がお互いに一個の人間として人格を認め合え、ということだが、孔子のいうのは、いわゆる近代の人権意識とちがって、自分を殺しても他人のためにするという前近代的意識をふくんでいる。それが孔子の思想の根本をなしている「仁」という概念である。孔子とその門人たちは、この思想を信じて諸国を遊説し、結果として、諸子百家のために道をきりひらいたのである。

中国故事名言辞典より


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